« 2009年3 月 | メイン | 2009年5 月 »
投稿情報: 22:36 カテゴリー: 仕事・協同 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
投稿情報: 21:35 カテゴリー: 家族 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
沖縄の辺野古に現れるってことその辺野古に米軍が基地を作ろうとしている…長い間、おばあ・おじいたちが反対の座り込みを続けている
じゅごん折り紙の作り方のチラシが左の図
作ってみて
辺野古からずっと離れた石垣島で米軍の艦船が入港した。乗員の休息と補給と友好的寄港と言ってね。本心は、港湾施設の調査…有事の際の利用目的のためだ その軍艦にまつわる新聞記事。とんでもない占領軍意識…許せないよね
琉球新報 2009年4月9日
米艦から横断幕戻る 掃海艦艦長、八重山署に
【石垣】米海軍掃海艦2隻の石垣港寄港に反対する市民が港湾区域境界の金網に掲示していた入港反対を訴える横断幕が盗まれた事件で、掃海艦の艦長が米海軍捜査機関を通じて横断幕を八重山署に渡していたことが8日、分かった。
同署によると、掃海艦出港後の5日午後、米海軍捜査機関が八重山署に横断幕を届けた。同署は渡した艦長の所属船名や所持していた理由などの詳細は捜査中として明らかにしていない。
現在、横断幕は署内で保管しており、同署は「引き続き米海軍の捜査機関と協力し、窃盗容疑で捜査する」としている。
盗難に遭ったのは「いしがき女性9条の会」の縦1メートル、横3メートルの布製横断幕で、「NO WAR SHIP(軍艦はいらない)」の文字と会の名称が記されていた。製作費は5千円。
被害届を出した同会事務局長の大島忠枝さん(64)が、同署からの通報を受け、盗難に遭った横断幕を7日午前に署内で確認した。「両端がギザギザに破れていた。たぶん取るときに有刺鉄線にかかったのだと思うが、心がずたずたに踏みにじられたという思い。悔しくて涙が出そうだった」と話す。
地元や捜査関係者によると、港湾内カメラの映像には容姿から米兵らしい2人が3日夜に港湾区域側から現れ、4回下見をした後、午後10時-11時の間に金網によじ登り、外側の横断幕をはがして持ち去る様子が記録されていた。
メア総領事は出港直前の5日午前11時半ごろ、記者団のインタビューに応じ、「盗難事件があるかどうかは分からないし、だれか捨てられたごみを片付けたというふうに見える」と発言しており、大島さんは「新品の横断幕をごみ呼ばわりし、何も知らないとうそをついた。謝罪してほしい」と訴えた。
沖縄平和運動センターの山城博治事務局長(56)は「コーヒーを掛けて胸ぐらを押した男を逮捕させておいて、自分たちがやった犯罪は『分からない』で済ますのか。これで米軍の犯罪だと明らかになったので、しっかりと犯人を引き渡してほしい」と憤った。
投稿情報: 22:28 カテゴリー: いのちと平和 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
沖縄へ行ったのは昨年6月
家族全員の思い出が一杯の大好きな土地だ
その、沖縄について新聞に乗っていた記事を紹介する
沖縄県民の苦難の歴史を訴えた衆院外交委員会質問よりその一部。
赤嶺政賢議員、沖縄の思い語る
強奪した土地 無条件で返せ
沖縄県民が協定に反対する最大の理由は、嘉手納墓地以南の土地返還に、名護市辺野古沖への新基地建設、米海兵隊のグアム「移転」のための日本の財政負担という条件をつけるものだからです。
沖縄の米軍墓地は県民の土地を強奪して造ったものであります。
沖縄は、第二次世界大戦で、国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦を体験しました。上陸した米軍は、住民を捕虜収容所に強制収容し、その間に軍用地・民有地を問わず基地建設に着手しました。住民が収容所から帰ると、鉄条網が張られ、自分たちの土地が基地に変えられていたのです。
サンフランシスコ平和条約が締結された1951年以降、銃剣とブルドーザーによって、米軍は抵抗する住民を強制的に排除し、基地を拡張しました。
私の生まれ育った那覇市小禄(おろく)もそうです。その集落の一つである具志(ぐし)では、米軍は「水道を引いてやる」という理由で8000坪の土地を奪いました。実際に設置されたのは水道タンクではなく、米軍のガソリンタンクでした。
私は、土がかぶせられ芝が植えられ、こんもりした丘に見せかけたこのガソリンタンクに抱かれるようにして少年時代をすごし、成人しました。結婚してもなお、ガソリンタンクは残っていました。
住民をだましうちにしてガソリンタンクを造ったあと、米軍は、大勢の武装米兵、装甲車、トラックで押し寄せ、土地とりあげに反対して座り込む住民を銃剣で殴り、軍靴でけり、頭から毛布をかぶせて、片っ端から追放していきました。銃剣とブルドーザーの土地強奪は、宜野湾市伊佐浜や伊江島など県下各地で行われました。
米軍は、戦後64年闇、県民に何の補償をすることもなく、沖縄に居座り続けました。それどころか、(1991年の)SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意以降、「土地を返還してほしいなら、それにかわる新たな基地建設を受け入れよ」といってきました。
さらに、(2006年の)米軍再編最終合意以降は、「海兵隊をアメリカに戻してはしいならグアムの基地建設まで負担せよ。それがなければ、土地返還には応じない」といってきました。
政府が米軍に土地返還を求めるなら、アメリカ政府の負担で、汚染した土壌をクリーンアップするなど、土地を元に戻して返還せよと求めるのが当然ではありませんか。強奪された土地の返還を求めたら、それに条件をつけて、それを認めなければ返せないなどということは到底許されるものではありません。
米軍基地の集中する沖縄で、美しい海を破壊して新基地の建設をパッケージでおしつけ、外国の領土であるグアムで、米軍の基地建設まで負担する今回の協定に、「納得できない」という声を上げるのは、墓地に苦しめられている沖縄県民であれば当然であります。対米追随外交、屈辱外交に沖縄県民が翻弄(ほんろう)される。そのようなグアム協定は絶対に受け入れられません。
投稿情報: 23:04 カテゴリー: いのちと平和 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
今夜ホームレス支援NPO法人の集いに参加
その場で、Mさんから自費出版のA4版114頁の冊子をいただいた。 表題は「日本の貧困」とあり、戦争体験や昭和20年代のご自身の貧困体験もふれながら、2008年10月より作業に取りかかり各種書籍や新聞報道をはじめとしてた資料も網羅している力作
「あとがき」に引用され文章が、Mさんのこだわりを示していると思う。そのまま紹介したい
「歴史を繰り返すな」
A:明治31年(1898年)に出版された、横山源之助著「日本の下層社会」の序文に、日野資秀が次のように記している。
社会問題とは何ぞや、即ち下層人民問題なり、この下層人民は国民の最大にして、しかも一国生産の主動力たり、この一国生産の主動力たる下層社会の状態を改良進捗せしめざれば、国民の幸福得て望むべからず。
110年も昔、おびただしい下層労働者らの境遇を憂いている。常に抑圧されている労働者こそ、生産をにない、社会を動かし、民の幸福をもたらす存在であるゆえ、配慮が必要であるという主旨。
B:昭和3年(1928年)、日本で初めての第一回普通選挙で、宇治を中心とした南山城の選挙区で立候補した山本宣治は推薦を受けた労農党の選挙公約を、次のように述べた。
労農党は、今度の総選挙にさいして、四つの要求を掲げています。
第1に、労働者に仕事と食を与えよ。
第2に、税金は資本家と地主に出させよ。
第3に、働く農民に土地を保証せよ
第4に、すべての人民に政治的自由を与えよ……であります。
今日、日本全国に約60万から70万人の失業者がいる。その中の多くは昨年の金融恐慌での犠牲になって工場から放り出された労働者です。この人々は働こうにも働く所がなくて、妻や子と一緒に、この寒空に死ぬほどの苦しい悲惨な生活をしております。しかるに歴代の政府は、これらの気の毒な我が同胞を見て見ぬふりをしています。一方、欧米諸国の進んだ国では、すでに失業者を救うために、いろいろな方法を講じている。
この演説は、今の日本の社会を映し出しているかのようです。私たちは、哀しい歴史を繰り返すまい。私たちは声を上げて、大量解雇者を出した大企業の責任を求めたり、政府に救済策を要求していきたいものです。…と締めくくっている
そう歴史を繰り返させていいけない がんばりたい
投稿情報: 23:46 カテゴリー: 社会 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
最近のコメント