今日、沖縄は64年目の慰霊の日を向かえた
再び、儀間さんの版画集から絵を紹介
70年代の沖縄、ベトナムを思い起こす 平和を守ること…いのちを守ることの原点となった日だ
以下、琉球新報の社説を転載
64年目の慰霊の日
被害と加害の再現許すまじ 「反軍隊」は譲れない一線
2009年6月23日 県内5大学の学生に琉球新報社が実施したアンケートで、99%が沖縄戦を学ぶことは「大切」と答えたが、戦後の年数の正答は6割にとどまった。沖縄戦から64年の「慰霊の日」に沖縄戦を語り継ぐ意義を考えたい。
アンケートでは日本兵の住民虐殺について学生の87%、学徒動員は93%が知っていた。「集団自決」について84%が「日本の軍事下で追い詰められた死」を選択し、教科書の「日本軍の強制」削除も9割が知っていた。
知識不足の面もあるが、沖縄戦の本質への大まかな理解と平和を守る意識の高さをうかがわせる結果だ。
語り継ぐ沖縄戦教訓
沖縄戦については1971年の県史「沖縄戦通史」を皮切りに多数の市町村・字史が出版された。多くの県民の悲惨な体験が掘り起こされ、沖縄戦研究の成果が学校の平和教育に生かされた。
体験者の減少とともに「沖縄戦の風化」が懸念されている。その中で沖縄戦を忘れまいとする体験者の強い意志と、研究者や学校現場の取り組みが沖縄戦の教訓を次世代に伝えている。
本紙の連載「語らねば、今こそ」は、長く胸に秘めたつらい沖縄戦体験を、高齢を迎え語り出した人々の思いを伝えた。
沖縄師範健児之塔の慰霊祭は遺族の高齢化で2006年が最後となっていたが、仲田英安さん(34)ら若い世代の遺族を中心に今年から復活する。
活動が活発な遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」の代表具志堅隆松さん(54)も戦争体験者の第2世代だ。
“風化”を乗り越え、沖縄戦体験者から次世代に継承される沖縄戦の教訓、反戦平和の思想はどのようなものか。
沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎのための「捨て石作戦」として県民に多大な犠牲を強いた。日米両軍の激戦が住民を巻き込み、20万人余に上る犠牲者数の多さ、日本兵の住民虐殺、日本軍が関与した住民の集団自決(強制集団死)などが特徴といわれる。
「日本軍の加害」の記憶は県民に軍隊と戦争への深い嫌悪を抱かせ、「反戦・反軍隊」の県民感情を根付かせた。
軍隊への根強い不信感は「軍隊は住民を守らない」、また何よりも命を尊ぶ「命(ぬち)どぅ宝」の言葉が定着している。
県民の「反戦・反軍隊」の思いを象徴するのが「平和の礎」だ。県民、日本軍、国籍、敵味方の区別もなく、すべての犠牲者の名前を刻み、平和を祈念している。
軍隊を憎みながらも、戦没した一人一人の兵士を戦争の犠牲者として悼んでいるのである。
「反戦・反軍隊」と「命どぅ宝」の思想の結実といえよう。
しかし筆舌に尽くせぬ戦争体験を通し県民が培った「反戦・反軍隊」の思いは、「基地の島沖縄」の現実に裏切られ続けている。
軍事同盟の危うさ
ベトナム戦に嘉手納基地からB52爆撃機が出撃し、沖縄はベトナムへの加害に加担する「悪魔の島」と呼ばれた。復帰後も広大な基地は存続し、湾岸戦争やイラク戦争に戦闘機やヘリが出撃した。
1990年代の日米安保再定義から21世紀の在日米軍再編で、日米の軍事協力の対象が極東から世界に広がったといわれる。
米軍再編に伴う沖縄の負担軽減は虚飾でしかなく、日米が軍事一体化する再編強化が進んでいる。
政府の新「防衛計画の大綱」方針は中国の軍事台頭や北朝鮮の核、ミサイル開発をにらみ「敵基地攻撃能力」をも検討するという。
北朝鮮の動向など国際情勢によっては、再び沖縄が加害の出撃基地となりかねない。
沖縄が「敵基地攻撃」の拠点とみなされ、相手国の攻撃の被害を受ける可能性も否定できない。
日本国憲法は戦争と武力行使の放棄を誓う。無軌道な軍事国家として太平洋戦争に突き進んだ反省に立つ憲法は、沖縄の「反戦・反軍隊」の思想に通じる。
広島、長崎が原爆被爆の体験から核廃絶運動の拠点となったように、住民を無差別に巻き込む悲惨な地上戦の犠牲となった沖縄は、あらゆる戦争に反対する普遍的な反戦平和運動の拠点となる資格と責務を負う。
沖縄が再び「被害」「加害」の地とならぬよう「反戦・反軍隊」の思いをかみしめたい。
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