社会に対する働きかけでは、「自由、平等、友愛、連帯」というキーワードが必要との指摘を以前受けました。つまり、自由というのは、もともと圧政からの解放であり
平等は横社会、しかし、横社会で格差が広がれば共感はできず、そのために友愛や連帯がなければ運動ができないということです
そして連帯はどうすればできるのか、今まさに考え実行していかなければらない内容ではないかと強くおもいました
連帯=共感だという事だと思いますが、共感は理論的に得られるものではなく、実際には経験としてはじめて得ることができるものですね
ですから、これはまさしく日々の活動の中でこそ積上げられていくものでしょう。共感とか連帯というのは、理屈抜きに「自分が大事にされた」とか「役に立ちたい」とか「親切な人がいた」とか「あの人のおかげで勇気がでた」ということではないかと思うのですが
テレビ、マスコミが派遣村の人々をなんとかしろ、可哀想だと報道する。
様々な団体が数日間だけのボランティアで施しを与え去っていく
結局、自分は安全な場所にいて、時がたてばまた、いつもの安全な生活を始める
派遣切り報道のすぐ後の番組で一回きりの数千万円のセットを惜しげもなく破壊する娯楽番組をやる
そこまで正義感かざすなら
自分の資材投げ打って、自分の住まいを提供したらどうでしょうか?
テレビ、マスコミも膨大な給与を1割り削減してでも、派遣切りの人々を雇い入れたらどうなのでしょうか?
結局、偽善なんです
偽善でもそれで助かる人がいればそれでいいと思います
私が許せないのは偽善であるくせに偽善で無いように振舞う偽善者達です
私は人助けをするとき、偽善であり自己満足であると自覚しています
だからこそ、自分のブログなどで偉そうに助けろ!などとは言いません。
自己満足の世界でやってます
自分が偽善者であることに気づいてください
派遣村の中には確実に仕事なんてする気のない人間も混在していると思いますがどうお考えですか?
私は偽善者です。
カム様、あなたは偽善者ですか?
不適切なら消してもらって結構です
投稿情報: 納税者 | 2009年1 月12日 (月) 18:16